きっとそうだと思う。

遠く離れた人を思い出したり、想ったり、遠くっていうのは場所だったり、時間だったり、今までに出会って、自分にとって影響を受けた人のことを想う時間がたくさんある。
毎日想う人もいるし、ふと想う人もいるし、ある人を想ってそこからつながって想う人もいる。

もし突然病気になったり、事故にあったり、命が尽きることがわかった時には、最後のワガママを言って会いたい人がいる。
伝えたいことを伝えなきゃいけない人たち。伝えないまま、お別れしたままの人たち。
そういう人は毎日想う。

季節が来ると想う人もいる。
何故か覚えている(特徴があるから?)誕生日が来ると想う人もいる。
ふと浮かんだ歌から想う人もいる。

そうやって、色々な人を想うのだけど。

そんな時は、何故だかその人も私のことを想ってくれているような気がする。想ってなくても、ふと思い出してくれているような。
時々、ふと思い出した人にメールを送りたくなって、送ろうと思っていると、その人からメールがくることがある。あぁやっぱりちゃんと通じているのだわ、と幸せになる。
だから、きっと私が人を想うとき、その人は私のことを思い出してくれていると信じている。ずっとずっと小さな頃から。

最近、何かの心理テストで、マイペースなのは良いけれど、自分のことだけじゃなくて相手のことも考えて相手のために心を広げましょう、みたいなことが書いてあった。確かに。
すごく楽しそうに談笑している人が、後から「あの人のあの話は興味なかったけど話すことなかったから聞いておいた」などと言ってる人をよく見かけ、そんな時は、あんなに楽しそうだったのに!?と驚いてしまうけど、そういうのも必要なのかもね。優しい嘘なのかもね。んー・・・できるかなぁ。頑張ってみますが、とりあえず、私が一緒にいるということが私が居心地が良いとか、楽しいとかそういう気持ちでいるということで、でなきゃそこにはいないということで。


2006年下半期の目標「心を広げる」。